読むのにかかる時間:10〜15分くらい
こんにちは。
鈴木亮平さんと同い年、1983年生まれ亥年、エンタメ好きな主婦です。
さて今回も、【読書代行(文学)】やっていきます。
ネタバレあり!
そんな人のために、読書を代行し「読んだみたいに内容がわかる解説」を10〜20分で読める記事にしてお届けする。
第1回目は夏目漱石『こころ』でした。
【読書代行(文学)】『こころ』夏目漱石 常識として知りたい人へ あらすじ解説・感想(40代でやっと響いた)
第2回目のお題はこちら。
『人間失格』太宰治
『人間失格』は、夏目漱石の『こころ』とともに、長年にわたり日本の文学ベストセラーの二代巨頭となっています。

特に『人間失格』は、映画などでメディア化され、若者から大人まで幅広い層に支持され続けています。
私はこれまで読んだことがなかったので、太宰治の自叙伝?くらいの知識しかありませんでした。
そして読んでみた感想は、
超面白い
の一言。太宰治すごいよ。
冒頭の引き込み方が神。
こんなに魅了されるとは思いませんでした。
その理由をあらすじ・感想を踏まえてまとめました。
筆者についてはこちら。偏りのある人間ですが、趣味趣向が合えば嬉しい限り♪
自己紹介part1(経歴編)
自己紹介part2(内面編)
ざっくりあらすじ
太宰治『人間失格』は、本当の自分を偽り「道化を演じる」ことしか生きる術を持たなかった男・大庭葉蔵の人生の物語。
頭脳明晰で裕福、現代でいうハイスペックな葉蔵が、幼少期の体験から人間を信じられなくなり、それゆえに本性を他人に悟られることを何よりも(おそらく死よりも)恐れるようになる。
道化を演じて周囲に器用に溶け込みつつも、常に感じる他者への不安と恐怖、違和感。
日常は葉蔵にとって地獄であり、そこから逃れるように悪友と共に酒・女・薬に溺れ、破滅への道を突き進む。
やがて彼は自分自身を「人間、失格」と断定。
社会や他者とのつながりを一切失い、葉蔵が見つけたただ一つの真理とは。
太宰治と大庭葉蔵の重なり
『人間失格』は、
人間不信に陥り社会に適応できず転落していく人間の姿
を描いています。
そして物語の時代設定は、
戦前から戦後の昭和で、太宰が生きた時代と重なっています。
葉蔵と同様に、太宰自身も学生運動や左翼的な活動に積極的に参加していました。
また、3度も自殺未遂をしている点も同じなので、葉蔵と太宰の人生は無関係ということはないはずです。
そのため、『人間失格』は太宰治の自伝的小説などと言われています。
執筆の背景
『人間失格』は1948年(昭和23年)6月号から8月号の雑誌『展望』に3回にわたって連載され、その連載途中に作者・太宰治は玉川上水に入水自殺しました。
それは、脱稿(原稿を書き終えること)からたった1ヶ月後のことでした。
そのため、『人間失格』は著者が死亡したのちに刊行されるというめずらしい形で世に出たのです。
本当のところは誰にも分からない
当初は、そのあまりにも自伝的な内容から「衝動的に一気に書かれた作品ではないか」と言われていました。
しかし、後に草案や推敲の痕跡が見つかり、かなり念入りに一語一語選んで書かれた作品であることが判明しています。
とはいえ、脱稿直後に著者が死亡した『人間失格』について語られるあれこれは、すべて他者の推測であり、本当のところは誰にもわからないのです。

作品全体が醸し出すミステリアスな雰囲気は、この背景のせいもあるかもしれませんね。
『人間失格』は実話?についての雑談
結論から言うと、実話ではありません。
あくまで大庭葉蔵という架空の人物が主人公の、フィクション作品です。
ですが、主人公の人生と太宰の人生が酷似していることから、『人間失格』は、太宰治の「私小説」や「遺書」などと言われたりします。
でも私は、
太宰が自分自身の秘めた本性を冷酷に分析し、言語化した記録
のように感じました。
誰にも言えない本性を葉蔵に託し昇華させようとしたのでは。
さて、主人公葉蔵にとって「生きることは苦行」でしたが、果たして太宰はどうだったのでしょう。
太宰の人生を記したいくつかの文献に目を通しましたが、葉蔵には少なく、太宰はガッツリ持っている特性がありました。
それは、
「究極のナルシストであり、自己顕示欲の化物である」
という特性。
出来事としてはほとんど同じ人生を辿った葉蔵と太宰ですが、気質の面で著者の太宰の方が圧倒的に
- 自己愛が強く
- 表現力が豊か
だったのではないでしょうか。
あくまで個人の思うところですが、葉蔵と比べると太宰の方が生命力が強く、生きるという苦行を「書く」ことで多少は発散できていたのではないかと感じました。
葉蔵と太宰、人生の最後は違う
二者の間には、人生の最後に大きな違いがあります。

薬物やアルコールに依存しながら
根底では他者との関わりに怯えながら
それでも太宰は自分で人生の舵を取っているように、私には感じられました。
『人間失格』が面白い理由4選
面白い、と感じたポイントを4つに絞って解説します。
①「はしがき」の異様な引き込み力
「はしがき」から始まる『人間失格』は、読み始めたとたんにグイと胸ぐらを掴まれるような、作品の中に引き込まれる感覚がありました。
はしがき──3枚の写真から始まる違和感
物語はまず、第三者の語り手による「はしがき」から始まります。
私はその男の写真を三葉、見たことがある。
『人間失格』より
と始まり、語り手は、3枚の写真を見た印象を淡々と述べます。
ここで太宰は、写真を一般的な数え方である「三枚」ではなく、あえて「三葉(さんよう)」と数えています。

調べると「一葉」は単に物を数えるだけでなく、その品物への気持ちを込めることができる、趣のある数え方らしいです。
そんなこと知らずに読み進めましたが、知らずともかなり違和感があり、この数え方だけで「異様な写真である」ことが伝わってきました。
すごすぎるー
その三葉の写真とは、以下のようなものでした。
一葉:嫌な子供
- 顔は笑っているが、少しも笑っていない。
- 美醜を学んだ者なら、虫でも払うような嫌悪感を抱く顔
- 猿のように皺を寄せた、不快で汚らわしい笑い
二葉:おそろしく美貌の学生
- 容姿は完璧なのに、どこか死んでいるような不気味さ
- しわくちゃの猿の笑いではなく巧みな微笑だが、人間の笑いとはどこかが違う
- 命を感じさせず、充実感など少しも無い、1から10まで作り物のような微笑
- どこか怪談じみたものを感じさせる不思議な美貌の学生
三葉:廃人のような老人
- 年齢も分からず、白髪で、汚くボロい部屋の片隅にて小さな火鉢に両手をかざし、笑わずどんな表情も無い
- 座ったまま自然に死んでいるような、不吉なにおいのする写真
- 顔が大きく映っている写真なのに、目を閉じると何も思い出せないような、表情が無いばかりか印象も無い
- 見ていると不愉快でイライラしてつい目をそむけたくなるような顔
この三枚の写真の説明、気になりすぎませんか。

私はこの時点で、早く次が読みたくて、活字を読んでいることを忘れていたと思います。
②「はしがき → 手記 → あとがき」という三段構えの構成のすごさ
『人間失格』の構成は、読者を引き込むためにものすごく計算されていると感じました。
- はしがき
- 完全に、葉蔵を知らない他人の視点なので、冷静で客観的。
- 葉蔵は、関わりのない第三者からは「この男は、どこかおかしい」「理解できない」という違和感を与える人物だということを印象づける。
- 手記(第一〜第三の手記)
- その違和感の正体を、本人の内側から徹底的に解き明かしていく
- 「手記」として書かれた文章であるため、読者はいつの間にか葉蔵の論理や苦しみを理解し始める
- あとがき
- 再び第三者の視点に戻される
- ここで、手記で感じた共感や理解が突然宙ぶらりんになる
- そして、葉蔵を知るバーのマダムのセリフで締めくくられる
手記・ラスト・あとがきについて
はしがきの後、物語は第一〜第三の手記として、三葉の写真に写っていた人物:大庭葉蔵本人の語りに切り替わります。
第一の手記の冒頭は、有名ですね。
恥の多い生涯を送って来ました。
『人間失格』より
この唐突な一文だけで、「どんな生涯よ!」
こちらをそんな状態にさせます。
その後、葉蔵がいかにして「三葉の写真の状態」になったのか、克明に語られていきます。
ラストーー「ただ一切は過ぎてゆきます」
はしがきにて語られた、「三葉の写真」を撮られたその場所にて、葉蔵の手記は終わります。
今は自分には、幸福も不幸もありません。
ただ一切は過ぎてゆきます。『人間失格』より
これが、「人間」の世界においてたった一つ真理らしく思えたことだと語られます。

「人間」の世界、って。
人間ではない者が、人間の世界で生きているようでゾクリとしませんか。
あとがきーー神様みたいないい子でした
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも・・・神様みたいないい子でした」
『人間失格』より
これが『人間失格』の最後の一文です。
あとがきでは、バーのマダムという葉蔵を知る人物の元を、はしがきの語り手であった第三者の「私」が訪れ、二人が葉蔵について語ります。
この構成により、読者は当事者(葉蔵)の苦悩から一度距離を置かされるのです。
- 他人として見る
- 当事者として読む
- また他人として見直す
葉蔵の人生に没入していたところを、いったん冷静に考えさせられるため、
「人間は多面的であること」
「自己認識と他者目線のズレ」
を突きつけられた読者は、その事実に愕然とすることになります。
③今でいうハイスペックなのに地獄、その理由
葉蔵は、客観的にはハイスペック人間。

実際に、「人からしばしばしあわせと言われる」などという記述があります。
しかし、葉蔵からすると自分に「しあわせ」と言ってくる人々の方がよほど幸せそうに見え、本人の内面は幼少期からずっと恐怖と不安に支配されています。
この世で生きることを
阿鼻叫喚で生きてきた
いわゆる人間の世界
と表現するほどに。
そこで、本心をひた隠しにして
といった「道化を演じる」ことで、自己防衛をしていくのです。
では、葉蔵はなぜ幼くしてそこまで人間不信になったのでしょうか。
それには葉蔵の幼少期の以下の体験が関わっていると思います。
なぜ「道化を演じる」ようになったのか──幼少期の3つの体験
葉蔵は、人間を心底恐れ、人間としての振る舞いに微塵の自信も持てずにいたため、自己防衛の手段として「道化」という生存戦略を得ます。
- 隣人との会話で何を言えばいいか分からない
- 何でもいいから、彼ら人間たちは笑わせておけばよい
小学生くらいの頃にそう感じており、そんな自分を客観視して自覚していたことから、かなり聡明で繊細な子供だったことが伺えます。
葉蔵がそこまで「人間恐怖」となったのは、以下の3つのことが要因ではないかと思いました。
① 女中や下男からの性的虐待
「その頃自分は、女中や下男から哀しいことを教えられ犯されていました」と、あまりにさらりと書かれた一文。
小学生くらいの時期を語る手記に突然あらわれたこの一文に、ギョッとしました。
そのことについて、後の手記で語られることは一切ありません。
しかし葉蔵は、続けて
「幼少者に対してそのようなことを行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だ」
そう語っていることから、その後の人生や人格形成にこの出来事が大きく影響しているということは、間違いないと思われます。
② 父(議員)と取り巻きたち
葉蔵は、資産家である父へ表面上は媚びへつらい、裏では陰口を言う大人たちの本性を見ながら育ちました。
そのことも、人を信じたくても信じられないという葉蔵の苦しみを生んだ原因ではないでしょうか。
③ 父の支配と条件付きの愛
資産家であるゆえに、将来立派になれよという「圧」があったのでは。
はっきりと語られてはいませんが、「一番苦しかったのは、食事の時間」「自分は父を怒らせた」などという描写が多々あります。
父の希望に沿わないことがあると、怒らせてしまう。
期待に応えられないと、褒めてもらえない。
そんな条件付きの愛情関係であったため、父から欲しいものを聞かれても、本当に欲しいものは言いません。
「父が与えたいものを答える」ことが自分にとっての正解とし、そのように行動します。
常に父の機嫌を伺っていたことも、本音を言うことへの恐怖を大きくさせたのではないかと思われます。
④対人関係の苦しみを代弁してくれている
『人間失格』は、人間が抱える対人関係の苦しみを、ごまかさず美化せず言語化してくれています。
「自分は隣人と、ほとんど会話ができない。何を、どう言ったらいいか分からない」
そんな感覚を抱える葉蔵は、「家族にさえ、彼らがどんなに苦しく、またどんなことを考えて生きているのか見当もつかない」という状態。
深い孤独の中に沈んでいます。
その結果、周囲に対して
このようなことを感じます。
「そんな自分も、また良し」
そんな思考になることは一切なく、自己肯定感の低さから、道化を演じるという対策を立て、自己否定を続けながら生きる葉蔵。

「本当の自分を隠し、表面上はおどけて笑顔を作りながらも、内心は必死の脂汗を流してのサービス」だなんて。
まさに苦行。
でも葉蔵は、人間を極度に恐れながらも人との繋がりを諦めきれませんでした。
「道化を演じる」ことを「自分の、人間に対する最後の求愛」「道化の一線でわずかに人と繋がることができた」と述べていることからそれが伺えます。
読み手は、葉蔵が以下のような「生きづらさ」と対峙する物語に没入することで、「自分だけじゃない」と感じ、心を救われるのかもしれません。
- 人間ってどうやるの?
- 人と違って不安
- 共感の強要が辛い
- 相手が何を考えているのか分からない
- 世間話ができない
- 演じることに疲れた
- 期待にこたえなければというプレッシャー
- 生活を続けていくのが辛い
- 政治を論じるべきだと言う雰囲気が辛い
- 人間は何のために生きているのか?と思うと憂鬱になる
余談①:現代なら病名がついていたかもしれない
葉蔵の特徴として、以下のような性質があります。
- すぐ死にたくなる
- 女性に依存し、転がり込み、すぐヒモになる
- アルコールや薬物に依存しなければ生きられない
- 他者の気持ちが全く分からない
- 自意識過剰が度を超えている
- 後先考えずに目の前の苦痛から逃げ出す
- 別人を演じる
これはもう、ただの「性格」では片づけられませんね。
現代ならうつ病・統合失調症・PTSD・アルコール依存症・多重人格・人格障害などの可能性が十分に考えられる状態です。

幼少期の体験から、そうなって然るべきです。
しかし当時(100年くらい前)は「心も病気になる」という概念などありませんでした。
余談②:葉蔵はどういう人間を「人間満点」と思っていたのか
物語のラスト、葉蔵は脳病院(現代でいう精神科)に連れて行かれ部屋を施錠されます。
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました『人間失格』より
では、葉蔵の考える「満点」とは何だったのか。
その答えは、実は冒頭にありました。
答えを持っていたからこそ、そぐわない本当の自分を強く否定し続けたのではないでしょうか。
彼は、以下のようにできれば「楽だ」と、また「人間というものは皆そんなもので、それで満点なのではないか」と語ります。
- 自殺せず
- 発狂せず
- 政党を論じ
- 絶望せず
- 屈せず
- 生活の戦いを続けていける
- エゴイストになりきれる
- しかもそれを当然のことと確信する
- 自分を疑わない

現代人には、ずいぶん決めつけが過ぎるように感じます。
葉蔵はそんな人間を「満点」とは語っています。
しかし、果たして「こうなりたい」と思っていたのでしょうか。
こうなりたい、というより「こうならなければいけない」感じていたのではないでしょうか。
よくある質問
『人間失格』について人から受けたことがある質問と、私が疑問に思っていたことをまとめました。
- 読んでみたいけど、文学作品って長いイメージがあるので全部読めるか不安
- 「人間失格」の映画と小説は違うの?
- ただ暗いだけの小説は苦手。救いはある?
- Q読んでみたいけど、文学作品って長いイメージがあるので全部読めるか不安
- A
人間失格は、中短編といわれていますが、文学作品の中ではかなりページ数が少ないですよ。
(文庫本の本編は139ページ)
難解な内容は一切なく、人の日記のようで読みやすいので、寝る前にちょこちょこ読めば長くても1週間で読み終わると思います。
- Q「人間失格」の映画と小説は違うの?
- A
近代で映画化された作品では、生田斗真と小栗旬が主演の2作品が有名です。
そもそも主人公が違い、見どころも違うので簡単に解説します。
- Qただ暗いだけの小説は苦手。救いはある?
- A
個人の見解ですが、暗いだけではない・・と思います。
暗いというより、ひたすら不安定な雰囲気の漂う不思議な小説です。
救いがあるかどうかは、判断が難しい。
第3者として見ると絶望的なラストですが、葉蔵本人は不幸を感じていないので、それを救いと捉えるかは意見が分かれると思います。
でもきっと、数ある「生きづらさ」を言語化してくれているため、読み手は救われた気持ちになると思います。
まとめ:太宰の秘めた本性を記録した衝撃の一冊
個人的には葉蔵に共感する部分もあり、自分が無意識にひた隠しにしている本性を、葉蔵が肯定してくれているような、不思議な感覚に包まれました。
- 他人との関係がうまく築けない男・大庭葉蔵の手記という形で語られる物語
- 葉蔵は裕福で頭も良く容姿にも恵まれ「ハイスペック」に見えるが、内面は強烈な人間不信と生きることへの恐怖を抱えている
- 道化を演じることで周囲に溶け込もうとするが、酒・女・堕落へと転落
- 社会や他人に適応できない自分を「人間失格」と断じるまでの過程が描かれている
- 太宰治自身の人生と濃く重なる、人間の弱さや孤独を極限まで深堀りした作品
そして、「人間失格」ってやっぱものすごいパワーワードですね・・すごい。
正直こんなに人を惹きつける小説だとは思っていなかったので、私は怒涛の一気読みでした。
興味が湧いた人は、ぜひ読んでみてください。
もうお腹いっぱい!
と感じた人は、読書代行の目的を果たせたので嬉しいです。
ではまた。

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